味噌

今年の味噌作り第1弾終了し、明日は第2弾です。
去年の今頃、母の死で落ち込んで立ち直れないでいたとき、mさんが「味噌作り教えて下さい」といいました。
最初、する気はなかったのに、なんとなくそうだよなあ、こんなことしていてもだめだよなあと重い腰を上げて、始まった味噌作りでした。相棒のラッキーママと2人で協力して、200キロの味噌が我家から巣立っていきました。
色々な人が我家にやってきて、歓声を上げながら楽しく作った味噌たちは、果たしてどんな味になっているのでしょう。最後に、「おいしくなあれ」と声をかけたお味噌は多分、極上の味噌になっていると思います。
私にきっかけを与えてくれたmさんに本当に感謝しています。だから、一回目はmさんとしたかったのです。
mさんのご主人とyちゃんも一緒で、家族3人で味噌の仕込みをしている姿は、あったかくて、見ていてほんわかしてきました。大豆のミンチはご主人が主にやってくれたので、大助かりでした。本当に、ありがとうございました。
ボケ専門の私に、ツッコミ専門のラッキーママというかなりハイレベルな(何が?)コンビはこれからもつづきます。
初めて味噌を作るという方、どうぞ、声をかけてください。
甥の娘が筑波大学に合格したという話から、頭のいい家系なのかしら、彼女のおばさんも奈良女の教授とか言っていたから、と話していて、突然、40年前の記憶が蘇ってきました。奈良女といえば、岡潔という数学者の家に、お手伝いというか、秘書というかやってみないかという話が舞い込んできたことを思い出したのです。
数学なんて、聞いただけで身の毛もよだる程嫌いなのに、数学者?いくら有名な人でも絶対いやだとあの時は思ったのです。中学生のときから、徳川家康全24巻を徹夜で読みふける変わり者だった私は、数字に弱く、自慢じゃないけど0点とったこともあります。だから自分はずっと頭の悪い子とインプットされ、反動からか、本は読みあさり、詩も書いていました。文学少女をきどっていた青春時代でした。
結婚してから、数学大好き人間の夫から、「おまえ、そんな事も分からなかったら、子供にも教えられないぞ」と毎夜、中学生だった姪と一緒に勉強させられた事があります。数学が出来ないからって、今まで1度も困った事無いよとうそぶきながら、しぶしぶ夫が講釈するのに付き合っていた事があります。それでも未だに数学は嫌いなわたしです。
1昨日、やっとフィリピンの旅日記が完成しました。
日中、ほとんど一人の時間がなく、結局、夜中に書いていました。それも、パソコンで打っているので、手でかくより遅くて、時間がかかりました。というか、たった3日の滞在なのに、22枚にもなって我ながらびっくり。書いている時が、私にとって最高の幸せです。
さあ、明日のお昼ご飯何にしようかな。
家にあるもので作るという楽しみは、我家にやってくるいろいろな人達に与えられているなあと、つくづく感じます。家族のブログに私のかっての料理べたを暴露してありますが、男3人、文句ばかりで褒めることをしなかったことも一因です。お嫁さんたちが、おいしい、おいしいといってくれ、お母さんの作ったものは、みんなおいしい!と褒めてくれて、断然やる気と自信を取り戻し、今に至っております。
人をけなすより、褒めるほうが効果ありの典型です。特に私はおだてに弱い。
三味線で、仲間の人が、さすがatukomさん、すぐわかってひけるのね。すごいねえ。とこの前言ったけれど、彼女の歯の浮いたようなお世辞には、うーん、こうやって思ってもいない事を、平気で言う人もいるんだ、とさめた思いで聞いていたから、お世辞と褒めるとは違うよね。
私も、お世辞ではない、褒め上手な人になりたい。だからって言うわけじゃないけど、ラッキーママの優しさには、座布団5枚!おあとがよろしいようで・・・・・。