積丹

1年に1度の積丹の墓参り。
来岸という小さな港町の山の上にあるお墓からは、見事な海の景色が広がっています。
何十年も母と共に通ったお墓に、今は母の遺骨があるという現実。
やはり今年も涙が溢れました。
積丹に行く前によった妹が住む実家はもう私の行くべきところではないというせつなさも伴って今年の墓参り無事終了。実の両親の眠る余別の墓参りを済ませて今年の墓参無事終了。
そして、気持ちを入れ替えて楽しい海水浴。我家というか、実家の風習で墓参りの後は必ず海で泳ぐのです。
かっては余別の灯台に通じる海岸線を歩いて念仏トンネルを通って積丹ブルーの広がる素晴らしい海辺で泳ぎまくったものでした。祖母も腰巻をプカーッと浮かばせながら、母もパンツとシャツで泳ぎ、私がうまく泳いだと言っては涙を流して喜んだりしたものです。
私が10歳くらいのとき、浅瀬にいわしの大群がピチピチはねていて大人も子供も歓声をあげながら手づかみでいわしをとって、大鍋でその場で煮て食べたときの光景を今でもはっきり覚えています。
うにもあわびも取り放題でした。
あわびを海水で洗って丸ごと食べたものです。
今もあわびが手に入ったときは、先祖伝来のミヅガイをして食べます。これを初めて食べた夫はあまりのうまさに感動していました。

海沿いに40分くらい歩くと通称おかむいさんとよばれているカムイ岩に出ます。
あの岩に船で渡って見た海の青さは子供心に感動しました。
オカムイサンのそばから長く急な階段を上ると余別灯台に出ます。そこから見る景色は絶景で、オカムイさんを境に海の色が全く違うのです。
本当に美しい景色です。
私にとって積丹は特別な場所なのです。
今、ユースホステルになっている向かいの家は母が生まれた家で、親戚が住んでいたので夏休みには必ず泊りに行って、体中蚤に食べられ悲惨なめにあうのにこりづに毎年行っていました。家のすぐ目の前には余別川が流れていて、そこで歯を磨き顔を洗い、泳ぎ、と川は生活に密接に関わっていました。
沢山の思い出がある余別の海で私は存分に泳ぎました。
流石に25メートル位の岩に渡る体力はなく、背の届くところで横泳ぎ専門になってしまいました。それでも6人の孫達と大好きな余別の海で泳げるという幸せをかみ締めていました。
古平に戻り当丸峠を経て泊、真狩そして有珠へ。長い道中でした。
兄の家族8人と合流し、総勢14人でまるで合宿のような3日間でした。
読もうと思って持っていった本は勿論開く時間もありませんでした。
お隣の農家からいただいたとれ立てとうきびが甘くておいしかった!