国連

ニューヨークの国連に行った時のこと、入るのにまず厳重な空港と同じ検査に驚いたが、ま、こんなご時世だからさもあろう。
日本語のガイドを申し込んですぐ、姪とその友達knpがトイレに行きたいと言ったら、なんと一人ずつに職員がついていく決まりらしく二人いっぺんには連れていけないと困っていた。
検査済みなのにトイレも自由にいけないとは。私もトイレにちょっとだけ行きたかったけど、面倒くさそうなので我慢することにした。
国連の仕組み、仕事そしてテレビでよく見る会議場など説明を受けなかなか勉強になった。それにしても、ガイドのお姉ちゃんの浴衣姿が気になったので、ちょいとおはしょりを直させてもらったら彼女がこう言った。「お母さんみたい」と。
彼女の日本語がなんだかへんてこなので「ねえ、お姉ちゃんどこの出身?」
そこから会話が盛り上がるとは・・・・。
「札幌です」我々札幌人は「ええーっ」なんと姪の高校の先輩で、担任の先生ともつながりがあり、一挙に会話は個人的な話で盛り上がりだした。
他の日本人のかたがたに「すみませんねえ」といったらみんな好意的ににこっとしてくれたので安心して会話を続けた。
彼女はアメリカで先生として働いていたとか。
国連の職員になるための研修がとても辛くて、自殺したくなるほど辛かったという彼女に姪が「どうやってきりぬけたんですか」と聞くと今ここでやめたらホラ見ろ日本人はたいしたことないなといわれるのがいやだった、日本人だから頑張れたといいました。その彼女の苦労に私たちは思わず拍手しました。
そして、日本が国連にたいして世界に対してどれほど貢献しているかを日本人に対して外国人に対しても知ってもらいたいと強く思いながらこの仕事をしていると涙ぐみながら語る彼女を私は思わず抱きしめていました。
これは、ニューヨークにこれから暮らす2人につなげなければと思い、「お友達になってもらったら?」多分、この3人の日本人はこれからお友達として繋がっていくでしょう。

これからも異国で暮らす友人達とykや、日本人としての自覚と誇りを持ってがんばれ!

あまり好きな国ではなかったアメリカという国に行くチャンスがあって、おばさんならではの出会いがあって、おばさんならではの観点でいろんなことを感じて、ちょっと書きたいなあと思っている所です。
maちゃんの家で過ごした3日間のなんと素敵な時間だったことと今更ながら思います。