気づき

昨夜、頼んであった無農薬玄米麹をわざわざ持ってきてくださったヨガのA先生にお礼の手紙を書いていました。
彼女とはもう20年以上もお付き合いをしていただいて、彼女との出会いが、私のスピリチュアルな旅の始まりだった気がします。
東城百合子先生とのご縁も彼女を通していただいたし、味噌作りを最初に教えていただいたのも札幌で最初に足心道を共にまなんだのも今考えると実にさまざまなご縁をいただいています。
いろんなことを思い出して書いているうちに便箋10枚以上も書いてもまだ書きたいことがあふれ出てきました。
母親のない二人の娘の母になったこと、6人の孫娘に恵まれたこと、15人もの外国の娘や息子ができたことそして若いお母さんたちの母親的な役割、それらがすべてベトナムの孤児院の子供たちにつながっていることなど書いてふっと気づきました。
何故、私が3人兄弟の末っ子なのに親戚である母の所に養女にいったのか・・・・。
実の父親が生まれてすぐに母親が亡くなり、乳母に育てられそのまま乳母の子となりそれはそれは深い愛情で育ったそうです。
その父親が大切なわが子を子供のできない姪である私の母に私を託しました。実の母は猛反対し嘆き悲しんだそうですが、頑として譲らなかったそうです。
そして生後9ヶ月で私は実の母親のおっぱいから突然離されて、ヤギの乳をもらって育ちました。母はヒステリックな人でいつも何かに腹をたてている人でしたが、愛情は深い人で私のことを本当に深く愛してくれました。
母が脳出血をおこし、半身不随になって唯一動く左手で私の顔をいとおしそうになでてくれたとき、私はこんなにこの人に愛されていると胸が震えるほど感動しました。
58歳の娘と88歳の母のふたりだけの素晴らしいじかんでした。
今私を護ってくださっているのが、実の父を育てた私にしたらおばあちゃんだとある方が教えてくれました。血のつながらない子を育てたじつに愛情深い祖母が私をいつも見守り導いてくれているのだそうです。
自分が生んだ子ではないのにそれ以上に愛し育ててくれた母、私は実の親ではない人の愛情で育つべくして育ったのだと、ちょっと表現が難しいのだけれどすべてがつながっているのだと気づきました。
実の父方の祖母の愛と養母の愛が私の今に深くかかわっていたのです。