筋委縮性側策硬化症

この難病にかかってから5年がたった義兄、これまで数度の危機を乗り越えてきた。
今回も胃漏を止めるほどの危機的状況で、兄弟2組で予定していたハワイへの旅行もキャンセルしたほどだった。
もういいよね、こんなにがんばったんだもの。ってみんなが其々の思いを持って、お別れした。
でも、義兄は驚異的な回復とは言わないまでも、危機を脱した。
今日お見舞いに行ったら、胃漏再開し、顔色も赤みがさし、明らかに生命力が戻ってきた感じだった。
私の話しにも、表情はないにしろ、明らかに聞いているのがわかった。
自分で体を動かすことはもとより、話すことも、伝えることも出来ず、なんの意志表示もできないままでいることは想像を絶する苦痛な筈、でも義兄は今、生きている。生かされている。それがどんな意味を持つのかなんて私にはわからない。でも、明らかに辛すぎるこの病を発症してから、5年もの歳月を義兄は生かされたいる。
まだかろうじて、口が動いていたころ「俺はもう死ぬ。長い間世話になった。ありがとう」と言った。
本人も覚悟していた筈だ。
しかし、今、彼は生きて肉体を持っている。回復の見込みは、全くない難病、それでも義兄は生きている。息をしている。
今日、義兄のほっぺを撫で撫でしながら、何だか愛しくて、生きててくれてありがとうって思った。
お兄ちゃん、ありがとう!生きててくれてありがとう!