母のたんす

お正月小樽の実家に行った際、母の形見の箪笥を貰ってきた。
大正時代の古い船ダンスで、レトロぷんぷんの箪笥は、生前の母が「私が死んだら、あの箪笥もっていきなさい。お姉ちゃんにやるからね。日本間にある骨董品もみんなお姉ちゃんにあげるからね」と言っていた。
しかし、妹が家を守っているので、頂戴とはいえなくて、でも、やっぱりあの箪笥だけは、どうしても欲しかった。
「蓬ほう」を始めると決まった時、あの箪笥のことが頭から離れないので、妹に勇気を出して頼んだ。あっさりOkが出て、目出度く蓬ほうの和室にピッタリと納まった。懐かしくて、懐かしくてあれから毎朝箪笥の前で「お母ちゃん、おはよう、今日もよろしくね」とか声をかけてから仕事を始める。
この箪笥の小さな引き出しの中から、色々な物が出てきてびっくり。まず、母のレース編みの作りかけが、白いハンカチに大事にしまわれていた。
まるで、使ってもいいよといわれているようで、数十年前の母のレース編みが店のコースターになった。
小さな皮の物いれからなんと52年前のお爺ちゃんからの葉書がでてきた。
妹が生まれたとき、東京に出張に行っていたお爺ちゃんが命名をした葉書には、なんと粋な句が詠まれていた。
そして、箪笥の中に敷かれていた古新聞には驚いた。
昭和23年7月の日付の新聞だ。私は22年生まれだから、62年前の新聞が出てきたのだ。もう、お母ちゃんたら、新聞取り替えなかったんかいと思ったけど、あまりの古さに本当にびっくりしたわいな。
母の思い出がいっぱい詰まった箪笥は、私の宝物になった。
今日いらした人が、磨いたら?と言ったけど、とんでもない、このレトロさがいいのに。母の手垢が染み付いたこの箪笥を磨くなんて。
冬だし、寒いし、雪はわんさか降るしで、お店は開店休業状態だけど、母の箪笥に守られているので、大丈夫、大丈夫、今にご縁のある方がいっぱいいらしてくれると何故か信じられる。
今日は味噌作りのお客様が、ランチに感動してシャメをとったり、うわーと歓声をあげて下さって、私も久しぶりにパワーを戴いて幸せな一日でした。雨の日ばかりではない、晴れの日もきっと来るとマイナス言葉にたじろがない自分が嬉しい今日この頃です。

パソコンの調子が今一で、何度か書いたものが、一瞬で消え去りがっくりしていたけど、今日は大丈夫みたいで、よかったわ。
25日間の冬休み期間中3人+3人のマゴパワーに疲れ果て、たまにはヒステリーもおこしていたけど、道東に帰った孫から「行ってきまーす」とメールが入り、思わず零れた涙。ほっとしたのと寂しさが入り混じり、行ってきますと言った孫がいじらしくもあり、別れの辛さにしばらく涙が止まらなかった私。
夏休みまで会えないので、この別れは本当に辛い。
愛しているよーと25日間いわれて、なんて幸せな日だったのだろうと大変な事は忘れて、愛い奴じゃと婆馬鹿丸出しの私。
明日は街のタイ料理の店で新年会、ワーイ、とっても楽しみじゃわい、明日も来るか来ないか分からないお客様のために、とびきりおいしいお料理作ってお待ちしていまーす。