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11日、昼から夕方まで日本にホームステイした事があるという年配の女性の通訳の方は、我々がホムステイのペアレンツとして結婚式に出席する為にフィリッピンに来たというと、親近感をもったのか、大層親切に案内してくれました。
彼女との出会いも今回の旅の収穫でした。
我々が車椅子を届けに行くといったら、私も連れて行って下さい、ガイドとしてではなく個人としてなので、お金はいりませんから、と頼まれましたが、我々もどんな風に行くのか解らないので確約はしませんでした。結局彼女とは一緒に行けませんでした。
帰りに空港から電話したとき、私たちフィリッピン人のために本当にありがとうと何度もお礼を言われて恐縮しました。
彼女は自分の娘に日本のお母さんの名前をもらって真弓となずけたのだそうです。
市内の観光地を数箇所まわり、市場に行きたいというと、長い事ガイドの仕事してるけど、ローカル市場に行きたいというお客さんはいませんでしたとマレーシアでもガイドさんに言われたせりふをここでも聞きました。
日本人の観光客って、普通はそんなところに行きたがらないのか?と私達にとってはそのほうが不思議だけど。
市場の中にも乞食の子供や大人がわんさかいました。
いつもそうだけれど、なにかいたたまれない悲しい気持ちになって、ついお金でもと思うけれど決してお金はあげないで下さいと、ここでもきつく言われました。
そのお金は往々にして、麻薬に化けるとのことでした。
最後に行ったマニラ大聖堂でたまたま結婚式をしていて、ラッキーな事に新婦のお父さんが入ってみてもいいよといってくれたので、結婚式見学。
いやあ、びっくり!派手!何がって参列者の衣装が。
花嫁側と花婿側の色が違うというのをこの目でみてysッチとうん、納得!
親の衣装も母親たちはロングドレスで父親はあの伝統的な薄いシャツみたいの。
フラワーガールが10人くらいいて、おそろいのロングドレスを着てまるで小さな淑女。
ああ、そうか、アメリカの影響かと思った。
スペイン統治が長かったからその影響か。
キリスト教だからか。いやとにかくちょっとびっくりした。
明日の結婚式の雰囲気が少しわかってよかったこと。
ガイドさんは大体こんな感じですよといっていました。
別れ難かったガイドさんをホテルの部屋に招待してつかの間おしゃべりしてお別れしました。
さて、マニラはどこもここも、道路はいつでも大渋滞だそうで、約束の時間から2時間も遅れてやっと明日の新郎新婦登場。お昼抜きだった我々はお腹がすきまくり、とりあえずご飯を食べようということになって、案内されたのは、向かいの巨大ショッピングモールの中のスーパーの中の食堂。
いうなれば、よーカドとかにあるあの手。
えっ、日本からわざわざ来てここかい?とちらっと思ったけれど、ま、いいかどこでもと気を取り直す。
夫も私もまずはビールでしょうと思いはひとつ。
いわなければ伝わらないので、ビールが飲みたい。あとは何でもオーケーという。
花嫁のanは決して美人ではないけれど、明るく気性のよい子と一目でわかった。